浮世絵の基礎知識

浮世絵のコーナーにようこそお越しくださいました。
ここでは浮世絵を理解するために必要なことがらを簡単に紹介していきます。



浮世絵とは?

浮世絵というと美術や日本史の教科書などに出てくるような歌麿や北斎のような作品を

思い浮かべ、あたかも芸術作品であるかのような考えを持っている人が大半だと思いますが

元来、浮世絵とは庶民による、庶民の為のものであり、今で言うならばさしずめポスターや

ブロマイド、絵本、チラシなどといったようなものであり日常生活の消耗品として大量生産

されてきた「商品」であり、見終われば紙くずとして捨てられる運命にありました。とはいえ、

そういった浮世絵の宿命をわかっていながらも、あえて芸術性にこだわったのが歌麿や

北斎を初めとするすぐれた絵師(画工)たちだったのでしょう。

浮世絵の名称の意味は?

そもそも浮世絵の「浮世」という言葉は、現代風・当世風といった意味をもった言葉であり

すなわち浮世絵とは浮世の様を描いた絵、つまり風俗画のことを指すわけなのです。

なお、この浮世絵という名称は後になってから名付けられたものではなく、既に江戸時代

初期の寛永18年(1641)の仮名草子「そぞろ物語」や天和2年(1682)の井原西鶴の

「好色一代男」などに既に見出されています。また、この「浮世絵」という名称以外にも

明和2年(1765)の鈴木春信から始まった多色摺りの浮世絵を、錦(にしき)のように美しい

ということから「錦絵(にしきえ)」と言い、また当時は江戸を意味する東(あづま)という言葉を

つけて「東錦絵(あづまにしきえ)」という言い方もしました。



肉筆浮世絵と浮世絵版画

一般に浮世絵というと、基本的には皆さんが思い浮かべるような北斎や歌麿の作品が

ありますが、あれらは何枚もの版木を使って制作した版画であり、そういった版画とは別に

いわば絵師の直筆の作品である肉筆浮世絵があります。この肉筆浮世絵は、裕福な

階層の人からの依頼および注文によって描かれた一点制作のものであり、当時としても

非常に高価なもので誰でも気軽に買えるようなものではありませんでした。

ちなみに、こういった制作注文品とは別に、書画会などで短時間の間に

即席で描いた「席画」もあります。

なお、この肉筆浮世絵の中には便宜上、画稿(ラフスケッチ)や版下絵(浮世絵版画の原画。

版木に貼って彫られるので最終的には消滅するが、

なんらかの事情により出版に至らず残る場合がある。)も含まれます。



浮世絵版画の制作順序

浮世絵版画の制作は版元(出版社)・絵師(画工)・彫師(版木を彫る)・摺師(版画を摺る)の

四者の共同作業でした。制作順序は以下のとうりです。

@版元が企画を立て、絵師に作画を依頼する。

A絵師は墨一色の線描きにによる版下絵を描き上げる。

B版元は版下絵を絵草子掛の名主(なぬし)に提出し、出版許可印
(改印・あらためいん)を捺してもらった上で彫師に渡す。

C彫師は版下絵を版木に裏返しにして貼り、主版(おもはん)を彫る。
(この時点で原画は消滅する。)

D主版を渡された摺師が主版の墨摺(校合摺・きょうごうずり)を十数枚摺り、絵師に渡す。

E絵師は校合摺に対して版木別の色指定をする。
 また、この時に着物の模様などの細部を描きこむ場合もある。

F彫師は色指定の指示にしたがって色版を彫る。

G主版および完成した色版で、摺師が絵師の指示どうりに試し摺を作る。

H絵師のOKが出た後、摺師は初摺(しょずり)として200枚を摺る。
 (売れ筋狙いの場合は200枚以上の見込み生産をする。)

I絵草子屋より販売する。



浮世絵版画に対する出版規制

当時の幕府は体制保持の為、政治を批判する声を封殺すべく諸々の法令を出していましたが

浮世絵の出版に関しても、その内容については規制を加える法令を出しています。

法令そのものは明歴・寛文の頃(1655〜73)より出されていましたが、

享保の頃(1716〜36)にはその内容が整えられました。

禁止の内容の主なものは次の通りです。

@幕藩体制を批判する内容を持つもの。

A信長・秀吉政権以降の武家について記す事。

B社会の出来事や流行の報道。

C金をかけた贅沢な印刷。

D春画や枕絵・好色本など風紀上好ましくない内容であること。

 これらに違反した絵師や版元には処罰が科せられましたが、

有名どころでは歌麿が秀吉の花見姿を 描いたという理由から、

手鎖(てぐさり=手錠)50日の刑に処せられています。

また、幕府は寛政2年(1790)に検閲制度である「改印制度」を施行し、

出版を町奉行の管理下に置かせた上で出版物を製版前に版下を提出させ許可印である

改印を画中に捺印させるという方法をとらせました。

なお、この制度は明治8年(1875)に新政府によって改正されるまで86年間もの間続きました。

(参考文献「図説・浮世絵入門」著:稲垣進一発行:河出書房新社 1990)



浮世絵のジャンル

浮世絵には多種多様なジャンルがあります。
ここではそれらのジャンルの主なものを取り上げていきます。

美人画
女性の風俗や容貌などを描いた絵で草創期から終末までを通しての主要ジャンル。
初期はもっぱら遊女の姿を描いたものが多かったが、時代が進むに連れて茶屋の
看板娘や下町の女性なども描かれるようになった。

風景画
名所や都市、街道の風景などを描いたもの。江戸後期以降における主要ジャンル。

歌舞伎絵
歌舞伎に関して描かれたものの総称で役者絵や劇場図なども含む。
なお、役者絵には舞台の上の姿に限らず、風俗画などで人物の顔を役者の似顔にした
ものもある。

武者絵
歴史上の英雄・豪傑・合戦場面、および武将に関連する故事・説話などを描いたも
の。
幕府の禁令により、信長・秀吉以降の武人の描写は禁じられている。

花鳥画
花鳥並びに虫・獣・魚などを描いたもの。流派を問わず多数の絵師が手掛けている。

相撲絵
人気力士の姿や土俵上の取組み・日常生活を描いたもの。番付形式のものもある。

源氏絵
柳亭種彦(りゅうていたねひこ)作「偐紫田舎源氏(にせむらさきいなかげんじ)」の挿絵と図様に
題材をとったもの。内容は源氏物語を下敷きにした、室町御所の足利光氏(あしかが
みつうじ)の遊楽風俗などの描写が中心。



横浜絵
安政5年(1859)に開港した横浜の外国人居留地や西洋建築に港の様子、外国人の生活風俗
などを題材としたもの。万延元年から翌年の文久元年(1860〜61)がブームの中心期。

おもちゃ絵
玩具絵ともいう。子供が切り抜いて遊んだり、絵本として鑑賞したりする目的で作ら
れたもの。
内容は「○○づくし」といった図鑑的役割を果たすものをはじめとして、絵双六・千

代紙・着せ替え
組み上げ絵(台紙から切り抜いて組み立てるジオラマのようなもの)など種類は豊富。

死絵(しにえ)
歌舞伎役者や著名な浮世絵師が死んだ時に、命日・戒名・追善の歌などを添えて売り出す
追悼肖像画。浅葱色(水色)の着物姿のものが多いが、色が華やかなものでも死を暗
示させる形式をとったものもある。

張交絵(はりまぜえ)
一枚の紙面を大小異なる形で区切り、それぞれに別の絵を描いて組み合わせたもの。
貼交屏風(はりまぜびょうぶ)から考案されたもの。

子供絵
子供の遊戯の様子や、大人の風俗を子供に置き換えて描いたもの。通常大人は描かれない。
おもちゃ絵とは違い、大人が鑑賞するために作られたもの。



風刺画
時事・世相・政治などを風刺したもの。安政の大地震による混乱と直後の建設ブームを
テーマにした「鯰絵(なまずえ)」・幕末の世相を風刺して作られた「あわて絵」・戊辰戦争における
新政府軍と旧幕府軍の戦況の様子を子供同士の遊びになぞらえたものなどがある。

団扇絵(うちわえ)
団扇に貼るためのもの。
消耗品として使い捨てられてしまうため、残っているものは図柄の見本として、見本
帳などに綴じられていたものである。

疱瘡絵(ほうそうえ)
当時は治療不可能の病であった天然痘を少しでも軽く済ませる為の護符として出版されたもの。
疱瘡神が嫌うとされた赤色のみで鍾馗・金太郎・源為朝など、子供向けの人物が摺られている。

麻疹絵(はしかえ)
画中に麻疹にかからないための心得を記したり、麻疹を退ける護符としての役割をもつもの。



有卦絵(うけえ)
陰陽道で九曜星を五行と方位に配し、これを干支にあて、暦に配当して7年を幸運の有卦、
5年を無卦の年として吉凶を判断するが、この有卦に入った人に対して祝いとして贈るもの。
有卦に入る人は頭に「ふ」の字のついたものを七種揃えて祝う事から、画中に「ふ」のつくもの
(福助・富士山・福寿草・福録寿・文(ふみ=手紙)・筆・船・袋など)を配する。

戯画・狂画(きょうが)
滑稽・諧謔・風刺的な内容を持つもの。人間の体を寄せ集めて顔にした「寄せ絵」・人間が動物や
虫などの形態模写をする様を描いた「身振り絵」・紐を一筆書きの要領で物の形にした「一筆画」
人や動物を文字の形に当て嵌めた「絵文字」・語呂合わせを絵にした「地口(じぐち)絵」などなど。

新聞錦絵
錦絵新聞ともいう。明治7〜14年(1974〜81)頃の間に出版された。新聞社との提携により
絵草子屋が新聞記事を錦絵にして売り出したもので、内容は殺人や情痴といった三面
記事が中心なため、美術的価値においては低く見られがちである。

摺物(すりもの)
自費出版の浮世絵版画。趣味人が新年に友人間に配ったものや、浄瑠璃や踊りなどの芸事、
役者などの襲名披露時に配ったりする。あくまでも私的なものなので採算を度外視し、精緻な
摺・彫は言うに及ばず用紙・絵具についても贅を尽くしたものが多い。



春画(しゅんが)
男女の性愛や交合を描いた絵。枕絵・秘画(秘戯画)などともいう。出版は禁じられてはいたが、
アングラで出版され、それゆえに高値で売れるため摺り・彫り共に精緻を尽くした作品が多く、
浮世絵版画の木版多色摺技術の最高水準を見る事ができる。なお、好色的ではあるが交合まで
いかない状況のもの(入浴シーン・浴後の涼み・着物の裾の乱れなどチラリズムな
シーン等)を春画とは区別して「あぶな絵」という。



浮世絵版画とは

――
肉筆浮世絵と浮世絵版画――

浮世絵には肉筆画と版画がある。肉筆浮世絵は絵師が紙や絹に描いた直筆画。同じも
のはふたつとない高価な品であるため、裕福な家の床の間などで鑑賞された。いっぽ
う浮世絵版画は、大量生産できて庶民にも求めやすい木版画。肉筆画に比べると圧倒
的に数が多く、一般に浮世絵といえば版画とみなされている。この「浮世絵と囲碁」
で紹介している図版も、ほとんどが版画だ。それでは浮世絵版画とは、どのようなも
のなのだろうか?

――
浮世絵版画の成り立ち――

浮世絵版画は、版本と呼ばれる絵本と、一枚絵とに分けられる。日本の木版画の歴史
は古く、平安時代にはすでに仏画が印刷されていた。江戸時代になると、御伽草子や
仮名草子などの大衆向け絵本が京都で刊行され、大坂、江戸へと広まる。当時、江戸
の文化はすべてこのような上方(京阪地方)からの流入だったが、明暦3年(1657)
の大火後、復興景気に活気づく中で、江戸独自の文化を生み出そうとする風潮が高
まった。そして絵本が盛んに出版されるうち、文章より挿絵の比重が大きくなり、や
がて独立した一枚絵が鑑賞用に売り出されるようになった。こうして誕生した浮世絵
版画美術は、その時どきの大衆の好みを映しながら、江戸時代の終焉まで大輪の花を
咲かせ続けることになる。


――
浮世絵版画の制作――



浮世絵版画は次のような工程で作られる。

版元(出版社)が絵師に作画を依頼する。

絵師が薄紙に墨で線描きの版下絵を描く。画中の文字は絵師が書く場合と、
専門の筆耕が書く場合が ある。

版元は町奉行所管轄の絵草紙問屋組合行事(天保の改革中は町名主)に版下絵を提出
して検閲を受け、改印(あらためいん)を捺してもらう。改印は時代によって変化し
ているので、制作時期を調べる手がかりとなる。

彫師(ほりし)が版下絵を桜の版木に裏返して貼り、彫刻刀で主版(おもはん)を彫
る。版下絵はこの時に消失する。

摺師(すりし)が主版の墨摺をバレンで10数枚摺る。

絵師が墨摺に細かい部分を描きこむとともに、朱文字で色を指定する。色指定は色ご
とに別の墨摺を使う。たとえば10色摺の版画にしたければ、10枚の墨摺が必要とな
る。

色指定に従い、彫師が色版を彫る。色版も色数だけ必要となる。

摺師が試し摺を摺る。

絵師のOKが出れば、初摺(しょずり)200枚を摺る。

版元は初摺を再び行事に提出し、手数料と出版税を支払う。

絵草紙屋にて販売する。



このように、浮世絵版画は最初から最後まですべて手作業で制作された。そのため1
枚ずつ微妙に摺り上がりが異なるところが、ヨーロッパのプレス式印刷と比べて面白
い。

初摺は摺師ひとりの1日の仕事量にあたる200枚が通常だが、売れ筋の商品はもっと多
く摺られた。売れ行きがよければ追加で摺り、これを後摺(あとずり)という。しか
し版を重ねるにつれて原版が傷むうえ、注文に間に合わせるために色数を減らした
り、安い顔料を使ったりしたので、あとになるほど品質は落ちた。たとえば広重の有
名な風景画などは何度も出版されたが、初期のものと後期のものとでは、出来ばえに
雲泥の差がある。また、版元が売上を伸ばすために色を変え、印象がまったく変わっ
てしまうこともあった。けれども囲碁図に関しては、浮世絵版画全体からすると少数
なので、このような憂き目にはあっていない(そのぶん収集には苦労するのだが。ど
れほど探し回っても、せいぜい2000‐3000図に1図見つかるくらいだろうか)。

20世紀に入るまで、日本の版画には欧米のモダンアートのように通し番号や作者のサ
インを書き入れる習慣がなく、代わりに絵師の落款(署名または号の印)、版元の名
(または屋号、商標)、改印を画面か余白に摺っていた。画面にはたいてい画題を入
れたほか、描かれている人物の名を添えることもあった。

19世紀後半から、浮世絵版画は海外で高く評価され、盛んに収集され始めた。だが当
の日本人にとっては、あくまでも芝居や江戸見物、廓遊びなどの安いみやげ物でしか
なく、うちわ絵やおもちゃ絵に至っては完全な消耗品だった。このように価値が低
かったため、庶民に広く愛されたにもかかわらず、現在では国内にあまり残っていな
い。さらに保存が難しいことも、数を少なくしている一因だろう。傷つきやすいう
え、湿気、カビ、虫、直射日光、酸などに弱い。浮世絵版画を買い求めたら、強い光
が当る場所に吊り下げるのは避け、美術館のように額に入れることをお勧めする。



――
浮世絵版画のサイズ――

浮世絵版画のサイズは一定していない。なぜなら、時代によって使う紙が異なった
し、機械生産ではないため規格も統一されていなかったからだ。紙の大きさの目安は
だいたい次のようになる。

丈長奉書(たけながぼうしょ) 縦72‐77cm×横52.5cm

大広奉書(おおびろぼうしょ) 縦58cm×横44cm

大奉書(おおぼうしょ) 縦39cm×横53.5cm

中奉書(ちゅうぼうしょ) 縦36cm×横50cm

小奉書(こぼうしょ) 縦33cm×横47cm
錦絵が誕生してからは大奉書が多く使われている。これらの紙を切ったりつないだり
して、好みの大きさに仕立てた。主に使われたサイズを以下にご紹介するが、もとも
と画集だったものを切り離して売ることも多く、これより小さめの画もよく見られ
る。



大判(おおばん)
大奉書の縦2つ切り。もっとも一般的なサイズ。縦39cm×横26.5cm

中判(ちゅうばん)
大奉書の4分の1。大判の横2つ切り。縦19.5cm×横26.5cm

小判(こばん)
大奉書の8分の1。大判の4分の1。縦19.5cm×横13cm

大短冊判(おおたんざくばん)
大奉書の縦3つ切り。縦39cm×横18cm

中短冊判(ちゅうたんざくばん)
大奉書の縦4つ切り。縦39cm×横13cm

小短冊判(しょうたんざくばん)
大奉書の縦6つ切り。縦39cm×横9cm

色紙判(しきしばん)
大奉書の6分の1。ほかの紙より厚手。 縦20.5cm×横18.5cm

長判(ながばん)
大奉書の横2つ切り。縦19.5cm×横53.5cm

掛物絵(かけものえ)
大判の縦2枚つなぎ。縦78cm×横26.5cm

柱絵(はしらえ)
@丈長奉書の縦3つ切り。縦72‐77cm×横17cm       
A丈長奉書の縦4つ切り。縦72‐77cm×横13cm

細判(ほそばん)
@小奉書の縦3つ切り。縦33cm×横15cm       
A小奉書の横2つ切り。縦16cm×横47cm

続絵(つづきえ)
同じ大きさの紙を並べて大画面にしたもの。大判を横に3枚並べた大判3枚続が一般的
だが、5枚続や6枚続もある。また、縦に2枚、3枚とつないだり、まれに3枚続を上下
に並べて6枚にする場合もあった。続絵は1枚ずつが独立した画でありながら、つなぐ
ことによってさらにスケールの大きな作品にまとまるよう構成されている。それぞれ
の画は別々に摺られ、ばら売りされたので、現在では1枚しか見つからないことも多
い。



――
浮世絵版画の技法――

浮世絵版画の技術は時代とともに発展してきた。初期から順を追って見ていこう。

墨摺絵(すみずりえ):延宝(1673‐1680)頃
菱川師宣の描く絵本の挿絵が江戸で人気を呼び、一枚絵に独立。当時の版画は墨1色
だったため、墨摺絵といわれる。摺ったあとに筆彩する場合もあった。

丹絵(たんえ):延宝頃〜享保(1716‐36)初期
墨摺絵に筆で色を加えた彩色絵。鉛を焼いて作る丹色を主に、緑や黄を加えた。

紅絵(べにえ):享保初期〜宝暦(1751‐64)頃
墨摺絵に丹の代わりに紅を彩色した絵。和泉屋権四郎という版元が始めたといわれ
る。

漆絵(うるしえ):享保初期〜宝暦頃
紅絵の一種。墨に膠を混ぜて漆のような光沢を出したもの。部分的に真鍮粉をまき、
金のようにみせた。

紅摺絵(べにずりえ):寛保(1741‐44)頃〜宝暦頃
初歩的多色摺版画。墨、紅、緑の3色が多いが、末期には藍や黄も加えて5色ほどに
なった。

錦絵(にしきえ):明和2年(1765)〜
明和2年、絵暦交換会の流行をきっかけに多色摺の開発が進められ、ついに鈴木春信
が中心となって、何色でも版彩できる技術を完成させた。錦のように美しいことから
「錦絵」、また特に上方に対し江戸で刊行された錦絵という意味で「東錦絵(あずま
にしきえ)」と呼ばれる。

錦絵の誕生は浮世絵版画に大きな変革をもたらした。紙は重ね摺に耐えられるよう厚
く上質な奉書になり、顔料も中間色が作り出された。それとともに錦絵をいっそう華
やかに見せる技法も工夫された。雲母をふりかける「雲母摺(きらずり)」のほか、
金粉をふりかけたり、白い顔料をかけて雪に見せたり、顔料に貝の粉末や金銀を混ぜ
たりもした。彫はどんどん緻密になり、摺の技術も発達する。上方では「合羽摺
(かっぱずり)」というステンシル方式の手法が好まれた。これは墨摺絵の上に型紙
を置き、切り抜いてある部分に刷毛で色をつけるものだ。版木に傾斜をつけて色をぼ
かす「板ぼかし」や、水をたらした版木の上に顔料を落としてにじませる「当てなし
ぼかし」など、さまざまな「ぼかし」も考案され、微妙な濃淡を出せるようにもなっ
た。金をかけた贅沢な印刷はしばしば禁止されたが、無許可で作られる私的な錦絵に
は、常に最先端の技術が生かされていた。



――
浮世絵版画の内容――

浮世絵は庶民による庶民のための美術。描かれる内容も庶民の好む当世風俗が中心
だった。

美人画
役者絵とともに浮世絵の中心的存在。はじめは吉原の高級遊女だけだったが、次第に
岡場所(私娼街)の遊女、芸者、町娘なども描かれるようになっていった。

役者絵
江戸庶民の最大の娯楽、歌舞伎を題材にした図。現代ならブロマイドといえる似顔絵
から、舞台そのものを描いた芝居絵、人気役者をほかの人物に見立てた創作的な図ま
で、バラエティに富んでいる。

武者絵
日本や中国の英雄豪傑、合戦場面の図。実在の人物だけでなく物語や伝説中の人物も
多く、歌舞伎からも大きな影響を受けた。織田信長以後の武人を描くことは幕府に禁
じられていた。

風景画・花鳥画
日本画では中国美術の流入により古くから確立していたが、浮世絵でも次第に主要な
ジャンルになっていった。現代と違って気軽に旅行などできなかった当時の人々に
とって、風景画は絵葉書のようなものだったろう。花鳥画は身近な題材に俳句などを
添えた、季節感のある作品が好まれた。

摺物(すりもの)
自費出版の浮世絵版画。狂歌師や俳諧師が自分の作品に画をつけてもらうほか、絵暦
や各種宣伝など、さまざまな目的で作られた。紙は厚めの色紙判が多く、印刷には贅
が尽くされた。



春画(しゅんが)
男女の愛の営みを描いた図。秘画、枕絵ともいう。禁令下でも極秘出版が跡を絶た
ず、ほとんどの絵師が手がけている。

上方絵(かみがたえ)
江戸で出版された江戸絵に対し、上方で出版された浮世絵。役者絵が多く、鮮やかな
色使いが特徴。厚めの小判の紙がよく用いられた。

横浜絵・開化絵
安政6年(1859)横浜開港、慶応3年(1867)大政奉還――文明開化を迎えた日本に、
西洋文明の波がどっと押し寄せてきた。その様子を報道写真のように伝えたのが、横
浜絵と開化絵だ。横浜絵は江戸の版元から出版され、開港後の2年間ブームになっ
た。明治に入ると安い染料が輸入され、色調は一気にけばけばしくなる。特に赤が多
用されたため「赤絵」とも呼ばれた。
横浜絵・開化絵が一世を風靡したのもつかの間、次々に登場する油絵、石版画、写真
などに押され、浮世絵はだんだん売れなくなっていった。明治27年(1894)に日清戦
争が勃発すると、国をあげて戦争画ブームが起き、浮世絵は最後のひと花を咲かせ
る。だがそれも長くは続かず、戦争後は急速に衰退した。しかし、いったんは絶えて
しまったかと思われた浮世絵版画も、大正時代に入ると再び息を吹き返し、新たな道
を歩み始めている。

創作版画
従来の分業とは違い、作画、彫、摺の工程をすべてひとりで行う版画。イギリスの
アーツアンドクラフト運動、ドイツ表現派、カンディンスキーなどの影響を受けて、
明治40年(1907)に創刊された美術誌『方寸(ほうすん)』が先駆となり、創作版画
運動が提唱された。大正7年(1918)に日本創作版画協会が結成され、昭和6年
(1931)には洋風版画会をあわせて日本版画協会と改められた。



新版画
大正5年(1916)頃から昭和30年(1955)頃にかけて、渡辺版画店が出版した版画。
伝統的な浮世絵版画の技法を継承しつつ、新しい才能を発掘した。
浮世絵版画には、知っているとさらに鑑賞が楽しくなる独特の表現方法がある。最後
にそれをいくつかご紹介しよう。

大首絵(おおくびえ)
人物の上半身だけを描いた図。このうち顔だけをクローズアップしたものを特に「大
顔絵(おおがおえ)」と呼ぶ。役者の表情や美女の美貌を間近で鑑賞したいという要
望から生まれた。写楽、歌麿によってひとつの頂点に達する。

見立絵(みたてえ)
だれもが知っている故事、説話などを題材にしながら、人物、風景、小道具などの一
部を当世風に置き換えて描いた図。

判じ絵(はんじえ)
文字や画にある意味を隠しておき、見る者にそれを当てさせる図。「さとり絵」とも
いう。

こま絵
画面の一部にカットのように添えられた文字または画。たいていは枠で囲んである。
テーマと関連して、判じ絵の役目をしたり、揃物のまとめ役をしたりと、さまざまな
使い方をされている。



主な浮世絵師

江戸時代から現代までの主な浮世絵師一覧。生没年不明の場合は(活)として活動期を
示す。また、掲載している図版の浮世絵師を目次末尾の「浮世絵師別索引」にまとめ
たので、そちらもあわせてご利用いただきたい。



江戸時代

葵岡(魚屋)北渓(あおいがおか(ととや)・ほっけい)安永9‐嘉永3(1780-1850)
号・葵園 他
磯田湖龍斎(いそだ・こりゅうさい) (活)明和‐天明(1764-1788)頃
歌川国芳(うたがわ・くによし) 寛政9‐文久1(1797-1861) 
号・一勇斎、朝桜楼 他
歌川豊国(うたがわ・とよくに) 明和6‐文政8(1769-1825) 
号・一陽斎
二代歌川豊国(歌川豊重 うたがわ・とよしげ) 安永6‐天保6(1777-1835) 
号・一陽斎 他
三代歌川豊国(歌川国貞 うたがわ・くにさだ) 天明6‐元治1(1786-1864) 
号・五渡亭、一雄斎、香蝶楼 他
歌川豊春(うたがわ・とよはる) 享保20‐文化11(1735-1814) 
号・一竜斎 他
歌川(安藤)広重(うたがわ(あんどう)・ひろしげ) 寛政9‐安政5(1797-1858) 
号・一遊斎、一幽斎、一立斎、歌重 他
二代歌川広重(歌川重宣 うたがわ・しげのぶ) 文政9‐明治2(1826-1869) 
号・立斎 他
奥村政信(おくむら・まさのぶ) 貞享3‐明和1(1686-1764) 
号・法月堂 他
懐月堂安度(かいげつどう・あんど) (活)宝永‐正徳(1704-1715)頃
岳亭五岳(がくてい・ごがく) 天明6‐明治1(1786-1868)頃 
号・岳山一老 他
勝川春英(かつかわ・しゅんえい) 宝暦12‐文政2(1762-1819) 
号・旭徳斎、九徳斎
勝川春章(かつかわ・しゅんしょう) 享保11‐寛政4(1726-1792) 
号・縦画生、李林 他



勝川春潮(かつかわ・しゅんちょう) (活)天明‐寛政(1781-1800)頃 
号・雄芝堂 他
葛飾北斎(かつしか・ほくさい) 宝暦10‐嘉永2(1760-1849) 
号・春朗、宗理、戴斗、為一 他30以上
菊川英山(きくかわ・えいざん) 天明7‐慶応3(1787-1867) 
号・重九斎

喜多川歌麿(きたがわ・うたまろ) 宝暦3‐文化3(1753-1806)頃 
号・豊章、歌麻呂 他
窪春満(くぼ・しゅんまん) 宝暦7‐文政3(1757-1820) 
号・黄山堂 他
春江斎北英(しゅんこうさい・ほくえい) (活)文政・天保(1818-1843)頃 
号・春梅斎 他
鈴木春信(すずき・はるのぶ) 享保9‐明和7(1724-1770)頃 
号・長栄軒、思古人
鳥高斎栄昌(ちょうこうさい・えいしょう) (活)寛政5‐12(1793‐1800)頃 
号・栄昌堂
東洲斎写楽(とうしゅうさい・しゃらく) (活)寛政6年5月‐7年1月(1794-1795)
鳥居清経(とりい・きよつね) (活)宝暦末‐安永(1760-1780)頃
鳥居清長(とりい・きよなが) 宝暦2‐文化12(1752-1815)
鳥居清信(とりい・きよのぶ) 寛文4‐享保14(1664-1729)
二代鳥居清信 元禄15‐宝暦2(1702-1752)
鳥居清広(とりい・きよひろ) (活)宝暦(1751-1763)
鳥居清倍(とりい・きよます) (活)元禄10‐享保7(1697-1722)頃
二代鳥居清倍 宝永3‐宝暦13(1706-1763)
鳥居清満(とりい・きよみつ) 享保20‐天明5(1735-1785)
菱川師宣(ひしかわ・もろのぶ) 寛永7‐元禄7(1630-1694)頃 
号・友竹



明治時代

三代歌川国貞(四代歌川国政 うたがわ・くにまさ)嘉永1‐大正9(1848‐1920) 
号・梅堂豊斎 他
歌川貞秀(うたがわ・さだひで) 文化4‐明治12(1807-1879)頃 
号・五雲亭、玉蘭斎
河鍋暁斎(かわなべ・ぎょうさい(きょうさい))天保2‐明治22(1831-1889) 
号・狂斎、惺々 他
小林清親(こばやし・きよちか) 弘化4‐大正4(1847-1915) 
号・方円舎、真生楼 他
月岡芳年(つきおか・よしとし) 天保10‐明治25(1839-1892) 
号・大蘇、玉桜斎 他
豊原国周(とよはら・くにちか) 天保6‐明治33(1835-1900) 
号・花蝶斎、一鶯斎 他
楊洲周延(ようしゅう・ちかのぶ) 天保9‐大正1(1838-1912)

大正・昭和時代

恩地孝四郎(おんち・こうしろう) 明治24‐昭和30(1891-1955)
川瀬巴水(かわせ・はすい) 明治16‐昭和32(1883-1957)
北野恒富(きたの・つねとみ) 明治13‐昭和22(1880-1947)
小早川清(こばやかわ・きよし) 明治30‐昭和23(1897-1948)
弦屋光渓(つるや・こうけい) 昭和21‐(1946-)
橋口五葉(はしぐち・ごよう) 明治13‐大正10(1880-1921)
平塚運一(ひらつか・うんいち) 明治28‐平成9(1895-1997)
棟方志功(むなかた・しこう) 明治36‐昭和50(1903-1975)
山本鼎(やまもと・かなえ) 明治15‐昭和21(1882-1946)
吉田博(よしだ・ひろし) 明治9‐昭和25(1876-1950)



参考文献

・「浮世絵の基礎知識」 吉田漱著 1987年 雄山閣
・「浮世絵入門」 稲垣進一編 1997年 河出書房新社
・「世界大百科事典 第2版」 CD-ROM版 日立デジタル平凡社

編集 著作: 駿河堂 海がお庭の工房 【田舎のJOIチーム】

ご意見ご感想はこちらまで